丸々1ヶ月空いてしまったので、今年になってはじめての投稿に。
メンデルスゾーンの誕生日が2月3日だったので(1809年)、メンデルスゾーンにまつわる話をいくつか。
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メンデルスゾーンには色々な顔がある。
「マタイ受難曲」を蘇らせてバッハを復活させたが、単にそれだけじゃない。
メンデルスゾーン自身が19世紀のバッハだったと言える。
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たとえば…
バッハのマタイ受難曲で5回も使われたコラールがある、「血潮したたる主の御頭」というタイトル、マタイ受難曲の象徴的な旋律であることから「受難コラール」とも言われるこの曲。
そのコラールを使いまくったコラールカンタータをメンデルスゾーンは作っている。
これなんか聴くとほとんどバッハ。
単に同じコラールを使っている、というだけではなくて、
その異様な懲り方ーーーこのコラールの有名な下降音型の旋律がバスに歌われるが、それがすぐに5度上でアルトにひきつがれ、また直後に4度上で重ねられ、最後にソプラノが8度上で2倍の音価で歌われる、という感じの異様な懲り方、しかも凝っているくせに音楽全体はすごく美しく流れていく、というようなところもまるでバッハの仕業である(笑)
同じコラールを作ったオルガン曲。
これなんかもまさにバッハのオルガン曲にありそう。
受難コラールを使ったオルガン曲といえば、次のようなエピソードもある。
1840年8月6日、バッハの記念碑を建設するための資金集めのチャリティコンサートとして、メンデルスゾーンのオルガン・コンサートが行われた。
上演されたのはすべてバッハのオルガン曲。
そして最後に、即興演奏があったらしいが、それがこのコラールをテーマにしたものだったらしい。
その場にいたシューマンの書いた批評によると、
「・・・もし私が勘違いしていなければ、それは『血潮したたる主の御頭』のテクストに基づくものであった」
「その後半に彼はバッハの名”BACH”を編みこみ、フーガへと導いた。・・・」
とのこと。
……録音残っていないの?!(笑)
このコンサートについて以前ブログでまとめた記事 →
「メンデルスゾーンについての覚え書き <3> ”バッハづくし”のオルガンコンサート」▼
メンデルスゾーンには「オラトリオ三部作」の計画があったらしい。
若い時に「パウロ」を完成させている。そして亡くなる一年前にはオラトリオ「エリア」を完成させて当時大ヒットしたらしい。
そして未完で終わったオラトリオに「キリスト」がある。
パウロは新約聖書に出てくる伝道者、エリアは旧約聖書に出てくる預言者。
それぞれ新約、旧約を代表するような人物を歌い上げ、最後にそれをつなぐものとしてキリスト本人をとりあげようとしたらしい。
旧約と新約をつなげる壮大なオラトリオ三部作計画など完成していたらどんなに巨大な意義があったか。
バッハの最後のロ短調の大ミサ曲などはバッハがカトリックとプロテスタントの対立をこえた汎宗教的な精神で作られたもの、などという評価もあるが、ひょっとすると晩年のメンデルスゾーンの目指したものもまさにその方向だったのかもと思うと、つくづく「キリスト」が未完におわってしまったことが残念。
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あと、メンデルスゾーンの巨大な功績としては、当時の音楽家全体の社会的地位の向上をはかり、大きく実績をあげたこと。
モーツァルト、ベートーヴェンは作曲家として王侯貴族から独立して職業的自立をはかるために苦闘した人たちだったが、メンデルスゾーンはそこからさらにすすんで、今につながるクラシックの音楽会の形式を作り、音楽学校を創立し、さらにオケ団員の給与アップ、年金制度を作るなど音楽人の生活の向上を図ったことがすごいことだと思う。
以前まとめた記事 →
「メンデルスゾーンについての覚え書き <4> エライぞ!メンデルスゾーン」メンデルスゾーンがオケ団員のためにどういう年金制度を作ったのか、というのは職業柄(社会保険労務士なもので^^;)、とても興味がある。
少し前に図書館で調べたりもしたが、結局はいま日本語で出ている文献などではその具体的なところまで明らかにした文章はないであろうこと、くらいまでは分かった。いずれドイツに留学でもしようかな…(苦笑
いずれにせよ、今の現代の人間のクラシック音楽への接し方ーーーどういう音楽が聴かれているか、どういうコンサートが開かれているか、職業演奏家の存在の仕方、教育のされ方、指揮者の存在ーーーなどを考えると、クラシック音楽史の時代の区分として、メンデルスゾーンの存在というのはひとつの画期になっていると思う。
言い方を変えると、メンデルスゾーンの前と後で時代は分けられる、と。
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