2015年08月31日

2015年5月、6月、7月、8月の日記

気がついたら全く日記をつけていなかった。

なかなかブログに手が回らなくて。忙しくて。

まあ、いいや。



最近の一番の衝撃はこれだった ↓



このシャコンヌ、バッハが最初の妻マリア・バルバラのあまりに唐突な急死を悼んで作られた、という説がある。この演奏を聴いてそれを思い出した。
他の誰の演奏よりも、そんなバッハの痛切な思い、様々な感情を感じさせる演奏だった。

多分しばらくは、ひょっとしたらかなりの間は、この演奏が一番だろう、自分にとっては。

演奏というものは進歩するものだ。もちろん昔のいわゆる巨匠たちの演奏も素晴らしいのだが、それを受け継いでさらに素晴らしい演奏がでてくる様が何ともうれしい。
しかし最近の若手のヴァイオリニストは女性も男性も、日本の国内にも国外にも、すごいのが沢山いるなあ。

一方で、こんな演奏を聴くと、やっぱりこの曲はヴァイオリン弾きのための曲だな、とも思い、まあ当たり前のことなのだが、かなり悔しくもある。




今は8月31日。
ここ1週間、寒い。
8月の頭は猛暑で、汗をかきまくりで、おかげでアトピーの皮膚の調子も最悪で気が狂いそうだった。
それがここで急転。
変化が急激すぎるのがいらつく。暑いも寒いも極端なんだよね。

寒く感じるくせに、湿度は高いせいか、少し動くと汗が引かないで不快感は強い。
天気予報では曇りとなっているくせに、シトシトと雨が降る。
そのたびに自転車通勤、保育園の送り迎えとこちらは振り回されてばかり。

はやく秋晴れの空を仰ぎたいもの。


続きを読む
posted by たこすけ at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月09日

『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』より

久々に、読んだ本からの記録。

『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』(浦久俊彦著 新潮新書)より。

リスト自身の言葉。


「全世界が私に反対する。
 カトリックの人々は、私の教会音楽が世俗的に思えるという理由で、
 プロテスタントの人々は、私の音楽がカトリック的だという理由で、
 フリーメーソンの人々は、私の音楽が聖職者のように感じるという理由で。
 保守派にとって私は革新派であり、
 未来派の人々にとって、私は偽ヤコブ派なのだ。
 バイロイトでは、私は作曲家ではなく広告エージェントである。
 ドイツ人は私の音楽をフランス的だとして拒否し、
 フランス人はドイツ的だという。
 オーストラリア人には、私がジプシー音楽をやり、
 ハンガリー人には外国の音楽をやるといわれる。
 そしてユダヤ人は、私の音楽を理由もなく嫌うのだ」



この本はおすすめ。
リストという稀有な存在を19世紀のヨーロッパと社会構造の大きな変化のなかでとらえようとしていて、ショパンとの比較や、ピアニストとしてのだけではないリスト像なども興味深いもの。

タイトルでもある、なぜ女性たちはリストの演奏で失神したのか、という点では、群衆の中で過呼吸をおこして、とか、当時の上流階級の女性たちがしていたコルセットのせい、とかも興味深いのだが、著者の独自の視点は、当時新しい社会的な勢力としてのブルジョア階級の勃興という時代背景をあげている。
ただ、”モーツァルトの時代にはなく、リストの時代になぜ女性たちが失神したのか”という問題の建て方はどうなのか。
ファリネリも、リストの100年前に女性たちを失神させていたらしいしね^^;

ちなみに、この本とは直接関係がないが、自分のリスト像が大きく変わったきっかけは、以前知り合いのブログで、リストがアレンジしたというモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を聴いたこと。
ただそれ以上特に勉強もしたことなかったので、この機会は少し本を読んでみようか、聴いてみようか。

チェロ曲とかでもいい曲と新しく出会えそうな気もするし。





にほんブログ村 クラシックブログ チェロへ

 ↑ にほんブログ村に参加しています
posted by たこすけ at 14:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 心に残る言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする