2017年01月07日

「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」


  自分の感受性くらい      茨木のり子

 ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 みずから水やりを怠っておいて

 気難しくなってきたのを
 友人のせいにはするな
 しなやかさを失ったのはどちらなのか

 苛立つのを
 近親のせいにはするな
 なにもかも下手だったのはわたくし

 初心消えかかるのを
 暮しのせいにはするな
 そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 駄目なことの一切を
 時代のせいにはするな
 わずかに光る尊厳の放棄
 
 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ


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2015年08月09日

『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』より

久々に、読んだ本からの記録。

『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』(浦久俊彦著 新潮新書)より。

リスト自身の言葉。


「全世界が私に反対する。
 カトリックの人々は、私の教会音楽が世俗的に思えるという理由で、
 プロテスタントの人々は、私の音楽がカトリック的だという理由で、
 フリーメーソンの人々は、私の音楽が聖職者のように感じるという理由で。
 保守派にとって私は革新派であり、
 未来派の人々にとって、私は偽ヤコブ派なのだ。
 バイロイトでは、私は作曲家ではなく広告エージェントである。
 ドイツ人は私の音楽をフランス的だとして拒否し、
 フランス人はドイツ的だという。
 オーストラリア人には、私がジプシー音楽をやり、
 ハンガリー人には外国の音楽をやるといわれる。
 そしてユダヤ人は、私の音楽を理由もなく嫌うのだ」



この本はおすすめ。
リストという稀有な存在を19世紀のヨーロッパと社会構造の大きな変化のなかでとらえようとしていて、ショパンとの比較や、ピアニストとしてのだけではないリスト像なども興味深いもの。

タイトルでもある、なぜ女性たちはリストの演奏で失神したのか、という点では、群衆の中で過呼吸をおこして、とか、当時の上流階級の女性たちがしていたコルセットのせい、とかも興味深いのだが、著者の独自の視点は、当時新しい社会的な勢力としてのブルジョア階級の勃興という時代背景をあげている。
ただ、”モーツァルトの時代にはなく、リストの時代になぜ女性たちが失神したのか”という問題の建て方はどうなのか。
ファリネリも、リストの100年前に女性たちを失神させていたらしいしね^^;

ちなみに、この本とは直接関係がないが、自分のリスト像が大きく変わったきっかけは、以前知り合いのブログで、リストがアレンジしたというモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を聴いたこと。
ただそれ以上特に勉強もしたことなかったので、この機会は少し本を読んでみようか、聴いてみようか。

チェロ曲とかでもいい曲と新しく出会えそうな気もするし。





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2014年08月05日

死者が見つめている


原爆投下から69年目の8月6日。

毎日新聞でこんな記事をみた。
「被爆地・広島:ガザで戦闘の双方の学生 交流始まる」 (毎日新聞2014年8月4日)

リンク先を貼らせていただきましたが、読めなくなってしまうかもしれないので本文を引用させていただきます。



被爆地・広島:ガザで戦闘の双方の学生 交流始まる

 イスラエルとパレスチナ自治区ガザを拠点とするイスラム原理主義組織ハマスの戦闘が続く中、被爆地・広島で4日、イスラエルとパレスチナの学生による交流が始まった。東京の学生団体が主催し、双方の学生計10人が参加。日本人学生も加わり16日間、主に広島県内で語り合う。紛争を巡る双方の溝は深いが、参加者は広島で戦争の悲惨さに向き合い、平和への思いを共有することに期待を寄せている。

 交流は、東京都内の学生でつくる「日本・イスラエル・パレスチナ学生会議」が2003年から続けており、広島が会場になるのは3回目。参加者はこの日、原爆ドームや原爆資料館などを見学した。原爆が投下された6日は、広島市の平和記念式典に参列した後、被爆証言を聞く。

 参加したパレスチナ自治区ヨルダン川西岸、ベツレヘム郊外出身のアイマン・ザワハラさん(22)は6月末、北部ジェニンで友人がイスラエル兵に撃たれ、死亡した。「ハマスのロケット攻撃は支持しないが、ガザは長年の封鎖で食料も水も十分に手に入らない状況だ。封鎖を解かない限り暴力は続く」と指摘する。ザワハラさんが住む西岸ではイスラエルが設けた検問所が随所にあり、「下宿先から約60キロしか離れていない実家に帰るのに6時間かかることもある」と言う。

 イスラエル人のアミール・シェルマンさん(26)は兵役中の08〜09年にあったガザ侵攻で、ハマスの拠点制圧作戦に参加した。「片手に子供を抱え、もう片方の手に銃を握っているテロリストを見た。市民を盾にしているのは事実だ」と証言。「自分は撃たずにすんだし、誰も子供を殺したいとは思わない。しかし、自分が危険な場合は撃たざるを得ない。戦闘で平和は来ないが、私たちには自衛権がある」と話す。

 両者の隔たりは大きいが、交流には意欲的だ。ザワハラさんは「国籍は関係ない。同じ人類として対話したい」。シェルマンさんも「対話を通じ、私たちの立場を説明したい」と話す。

 学生会議代表の国際基督教大2年、金原卓央さん(22)は「政治的理由で分断され、現地では民間レベルの対話がない。自国とは違った平和観を持つ日本で、平和について考えてほしい」と話している。【吉村周平】



一瞬でそしてその直後に命を絶たれた10万人にも及ぶ死者が静かに見つめている。

二人の学生と、彼らを通した母国の状況と、そして我々と。


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2012年12月24日

WAR IS OVER / IF YOU WANT IT

クリスマスだ。

ジョン・レノンの「Happy Xmas (War Is Over)」。

あらかじめのお断りですが、かなり見るのがつらい映像です。

僕は今朝これを見て泣き、今もまた見て泣いた。

つらい映像だが、下の説明に「The Official video for John Lennon 'Merry Xmas (War Is Over)'」とあるので、この曲にはこの映像がつくのがジョンとヨーコの意思なんだろうと思う。
ジョンのボーカルは叫びであり祈りであったのだなあと改めて実感した。



こんな現実に無力な自分がいったい何ができるのか。

でもジョンとヨーコのメッセージは常に、

「想像してごらん」「そう願ってごらん」と。

「そうすれば現実になるよ」と。

今も戦争や震災で苦しめられている人たちのことを想って。
それにつながる自分たちのことを想って。

こんな自分も人の親だから。

” WAR IS OVER / IF YOU WANT IT ”



ちなみに、最初のささやき、
京子とジュリアンへの呼びかけだったんだな。


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2012年06月23日

シューマン「子供のためのアルバム」より

最近ツイッターで毎日シューマンの言葉をつぶやいていた。
これは彼の7歳の長女のために作った『子供のためのアルバム』という曲集の冒頭に「音楽で心得ておくべきこと」としてまとめている文章からの抜粋で、全文は門馬直美さんの『シューマン』(春秋社)に掲載されています。

一区切りついたのでまとめておこうと思って。



「易しい曲を立派に美しく弾くように努力すること。これは、難しいものを平凡に演奏するよりもずっといいことだ」

「つまらなそうな弾き方を決してしないように。いつも新しい気持ちで弾きなさい。曲を途中でやめないこと」

「想像力をうんとたくましくして、曲の旋律ばかりではなく、それについている和声も、しっかり覚えてしまうようにしなければならない」

「誰かが初見の曲を出して、弾きなさい、といったら、まずそれを最後まで読んでみること」

「達者な、いわゆる華やかな演奏というものに、決して惹かれないように。作曲者が心に抱いていた印象を曲であらわすようにしなければならない。それ以上を求めてはいけない。それを越えると、滑稽になってしまう」

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2012年02月19日

「君は、闘っているか」の田尻宗昭氏



現場の人間が、自分の頭で、自分の手で法律を見直して、

正しい姿勢と倫理感を持たなかったら大変な間違いをする、

人間として現代に生きることさえできない・・・



    田尻宗昭氏『四日市・死の海と闘う』(岩波新書 1972年)より

いちおう法律の関係の世界で飯を食おうと思っている人間の端くれの方にしがみついていてる人間として、深く心に刻むべき言葉だなあと思った。


田尻さんについては知っておられる方も少ないと思うので、wikiでもなかったくらいで、
そこで次のところにリンクをはらせて頂きます。

http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/nonfc/pdf/TaziriMuneaki.pdf

田尻さんのついての簡単な紹介、そして他の本からの抜粋の文章が短く載っています。
短い文章ですがこれだけ読んでいただければ、大体のこの人の業績、取り巻く問題についいて大雑把にでもつかめると思います。

もし興味をもたれたら、amazonで「田尻宗昭」で検索すると本が幾つかでてきますがハズレはありません。ぜひ読んでみてください。

こんな公務員がいたんだ、こんなたたかいがあったんだ、こんな人間的交流があったんだ、
そしてそういう取り組みの一つの到達点としての今の公害防止体制などがあるんだ、といことがよく分かる。

ちなみに記事のタイトルの「君は、闘っているか?」は若い人に会った時の挨拶がわりの言葉だったそうです。

僕には、人生40年生きてきて、”誰よりも影響を受けました”という人が数人います。
田尻さんはまちがいなくその内の一人です。
こんなにすごい日本人がいた。
その存在を多くの方々に知ってもらいたいものです。


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2011年11月27日

北杜夫『マンボウ遺言状』から



じゃ、昔からの口癖で、みなさん、さよなら、バイバイよ。

みんな仲良く、あとはよろしく頼む。



   ーーー 北杜夫『マンボウ遺言状』(新潮社)の「あとがき」から。


作家の北杜夫が先日、亡くなられた。10月24日。
大好きな作家だった。

なんとなく考えることをいくつか。


上の「あとがき」の日付は2001年3月とある。亡くなる10年前の遺言状。
この『遺言状』では「早く死にたい」「絶望的な毎日なんです」などと書いていながら、この後に出版された本は単行本だけでも6冊、3年前には「徹子の部屋」にも元気そうに出ていた。



朝日新聞の記事には、
『・・・
 同日夕、家族が見舞いに行った時は、「大丈夫?」と聞くと「大丈夫だよ」と答えた。夜には孫の小林史弘さん(21)もかけつけた。小林さんだけが病室に残っているとき、「ふみ、元気でね、元気でね」と何度も繰り返した。』とあった。
『マンボウ遺言状』や『孫ニモ負ケズ』に出てくるお孫さんのことかなあ。泣けてくる。


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2011年10月18日

カザルスとブラームス



私もブラームスと近づきになれたらよかった。

ブラームスの友人であり、また私の友人でもある人たちはみな、私がブラームスに会えなかったことは惜しかったといっていた。



『カザルスとの対話』(J・M・コレドール 佐藤良雄訳)より ( → Amazon

夢みたいな現実味のない願望を述べたものかと思っていたが、
カザルスが生まれたのが1876年12月29日で、
ブラームスが亡くなったのが1897年4月3日だから、その時カザルスは20歳。

なんだ、かなり現実的な話だったわけだ。

惜しいな。
もし二人が出会っていたらソナタの第3番やチェロコンチェルトもありえたかもしれないし。

ちなみにカザルスが亡くなったのは1973年10月22日。もうすぐ38回目の命日である。



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2011年09月14日

カザルスの言葉から



アクセントは一律な強さの問題ではない。
変化のないものがどうして感受性をとらえることができようか。
つまりフォルテのアクセントに価値を与えるものは、その音符をひいたあとに続くディミヌエンドであり、ピアノの指示に、生きたダイナミックな表情を与えるには、それをわずかに強めることを反復してニュアンスをつけるのだ。

・・・

私の音楽の解釈の概念は、フォルテにも、ピアノにも数多く変化のあるニュアンスを要求する。
表現の色合いはこうしてピアニッシモの限界から、フォルティッシモの限界にまで広がる。
そのうえ、さっき言ったようにフォルティッシモでさえも、アクセントの重要さを目立たせるのに役立つところのディミヌエンドの添加がなくてはいけない。

・・・

ある人たちが「カザルスには何か特別なものがあるのではないか?」と疑った。
彼らが見たこの「何か特別なもの」とは、私が諸君に話している原則の総和から来たものだと思う。



『カザルスとの対話』(J・M・コレドール 佐藤良雄訳)より ( → Amazon

確かに「何か特別なもの」と表現したくなる気持ちはよく分かる。
”何かが違う”。

それが方法論として言葉で明確に表現されていること。
でもそれは自分で音楽から聞き取らないといけないこと。
そのように耳を意識して使うこと。

その上で、自分でもチャレンジしてみること。

先は長いが、まずは気づくこと、意識することから始まると思う。


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2011年08月07日

原民喜「燃エガラ」

今年も8月6日と8月9日がめぐってきた。

去年一昨年一昨々年さらにその前もそうだったが、改めて原民喜氏の『原爆小景』(1950年)から。



燃エガラ

夢ノナカデ
頭ヲナグリツケラレタノデハナク
メノマヘニオチテキタ
クラヤミノナカヲ
モガキ モガキ
ミンナ モガキナガラ
サケンデ ソトヘイデユク
シユポツ ト 音ガシテ
ザザザザ ト ヒツクリカヘリ
ヒツクリカヘツタ家ノチカク
ケムリガ紅クイロヅイテ

河岸ニニゲテキタ人間ノ
アタマノウヘニ アメガフリ
火ハムカフ岸ニ燃エサカル
ナニカイツタリ
ナニカサケンダリ
ソノクセ ヒツソリトシテ
川ノミヅハ満潮
カイモク ワケノワカラヌ
顔ツキデ 男ト女ガ
フラフラト水ヲナガメテヰル

ムクレアガツタ貌ニ
胸ノハウマデ焦ケタダレタ娘ニ
赤ト黄ノオモヒキリ派手ナ
ボロキレヲスツポリカブセ
ヨチヨチアルカセテユクト
ソノ手首ハブランブラント揺レ
漫画ノ国ノ化ケモノノ
ウラメシヤアノ恰好ダガ
ハテシモナイ ハテシモナイ
苦患ノミチガヒカリカガヤク





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2011年06月16日

ブラームス モーツァルトやベートーヴェンを評する


・・・
ベートーヴェンで弱いのは、
つまりモーツァルトやバッハより弱いのは、不協和音の使用法だ。
モーツァルトのようなすごい不協和音がないんだ。
・・・


『ブラームス回想録集2 ブラームスは語る』。
        ホイベルガー、リヒャルト・フェリンガー 著
        天崎浩二 編・訳 (2004年版 音楽之友社)
から。

へぇっ、て感じ。

例えばバッハでは、どの曲が念頭にあったのかな、と興味を覚える。


この第2巻ではリヒャルト・フェリンガーという人の文章の中に、
ブラームスが書き上げたばかりのチェロソナタ2番を
チェリストのハウスマン(ドッペルの初演をした人だ!)とブラームス自身のピアノで初演したときの様子なども詳しく書かれてあり、いまレッスンでまさにこの曲をやっていることもあり、かなり感慨深い。

あと近しい友人が写した写真、それもエラそうじゃない、普段の様子がうかがえるような写真が多くて、それがまた結構いい味を出している。



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2011年06月08日

ブラームスのバッハ解釈



・・・ 特に「前奏曲」の躍動感あふれる力強い演奏は、今でも私の耳の奥に鳴り響いている。

そのバッハ解釈は型破りで、伝統的な理論にとらわれないものだった。ブラームスは「バッハはただ流れるように演奏すべし」という見解を著名なバッハ信奉者たちと共有するつもりはなかったのだ。「前奏曲」はまるで詩のようで、濃淡と明確なコントラストがついていた。

・・・ ブラームスの手にかかると、バッハの音符一つ一つは感性あふれるメロディを作っていく。例えば、深い哀感、気楽なお遊び、浮かれ騒ぎ、爆発するエネルギー、えもいわれる優美さ・・・・・・組曲では音色とタッチをさまざまに変え、テンポも伸縮自在だった。


『ブラームス回想録集1 ヨハネス・ブラームスの思い出』
        ディートリヒ、ヘンシェル、クララ・シューマンの弟子たち 著
        天崎浩二 編・訳 (2004年版 音楽之友社)
から。


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2011年03月25日

岡本太郎「背のびを強要されること」

先日の「こっちがすばらしいんだ」の延長で、
作品と受け手の関係についての岡本太郎の発言をもう一つ。



「芸術にふれる時、相手の高みにまで踏み込んで行かなければならない…

日常の小賢しい自分のままで、ぬくぬくと座ったまま、つかめるはずがない。感動するということは背のびを強要されることだ。

だが対するものが素晴らしければ、せいいっぱい背のびしても間にあわない。その距離は絶望的だ。身体をズタズタに切って伸ばしたって届かない…。

しかし、そのアガキの中にこそ、今まで自分の知らなかった新しい自分が出現してくるのだ。」



   『自分の中に毒を持て』 岡本太郎 著 (青春文庫 1993年)


受け手の能動性。
その能動性を引き出すだけの芸術作品の価値。


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2011年03月09日

岡本太郎「こっちがすばらしいんだ」

自分は本当に、惚れやすい、というか、熱しやすい性格なのだなと思う。
いま○HKで岡本太郎をやっているが、はまってしまった。

さっそく図書館で借りてきて読んでいる本から。
岡本太郎の言葉がいちいち面白く刺激的なのだ。


先週のドラマでもピカソの絵に出会って衝撃を受けるシーンがあったが、
その瞬間についての太郎自身の言葉。



「だけど感動しているのはこっちで、その絵じゃないんだよ。いいかい。

 こっちはふるえあがるほど感動しているのに、向こうは知らん顔して壁にかかったままなんだからね。その絵がこっちに共感して、ガタガタっと動いたり、壁から落っこちでもすれば、それはお互いの問題だけど。

 だから感動するこっちだけだ。その絵がすばらしいんじゃない。感動してるこっちがすばらしいんだ」



      『岡本太郎がいる』 岡本敏子 著 (新潮社 1999年)


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2010年09月10日

「明日の神話」



 負けないぞ。絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している。



SN3G0367.JPG

*写真はクリックするとかなり大きな画像になりますが、迫力をそのまま伝えられればと思ったので、大きさをいじっていません。ちょっと見にくいですが、あしからず。

とあるセミナーに参加するため渋谷に行ってきた。

騒々しい街だ。

渋谷の駅には岡本太郎の「明日の神話」がある。
都民のくせにまともに見たのは初めてのような気がするな。

「明日の神話」についてはコチラをどうぞ。
   「明日の神話 再生プロジェクト」のHPから「明日の神話とは」
      → http://www.1101.com/asunoshinwa/asunoshinwa.html

特に、岡本敏子氏の解説文は必読ものだと思う。

そんなわけで一番最後の行から引用させていただきました。

wikiで見たら、岡本太郎はピアノがすごくうまかったらしい。
暗譜でクラシックやジャズを弾きこなし、テレビのドキュメンタリー番組では「ショパンゆかりの地マヨルカ島を訪れ、太郎が作曲家の使用したピアノを弾く映像がテレビ放映された」そうだ。
岡本太郎の弾くショパンって……かなり聴いてみたい(笑)。



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2010年08月17日

水ヲ下サイ

去年一昨年一昨々年もそうだったが、改めて原民喜氏の『原爆小景』(1950年)から。



水ヲ下サイ

水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ
死ンダハウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー

天ガ裂ケ
街ガ無クナリ
川ガ
ナガレテヰル
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー

夜ガクル
夜ガクル
ヒカラビタ眼ニ
タダレタ唇ニ
ヒリヒリ灼ケテ
フラフラノ
コノ メチヤクチヤノ
顔ノ
ニンゲンノウメキ
ニンゲンノ



今年の広島の平和記念式典にははじめてアメリカの駐日大使が参加し、また国連事務総長が参加した。

遅々としてはいるが、世界は前向きに変わっているのだろう。

国連事務総長のあいさつはこちら→(YOMIURI ONLINE にリンクさせていただきました)。

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2010年08月12日

ペレーニの言葉から

雑誌『サラサーテ』の第35号(2010年8月)でのインタビュー記事から引用。


彼は目を瞑って演奏していた。瞑想するように。
「目を閉じて何を考えているのかって?特に特別なことは何も考えていないけれど(笑)。次に何をするべきかを考えています。」


いいねえ、この人(笑)

もう一つ。


「私は解釈する人間。あくまで音符の語り部として働いている。複雑なハーモニーを聴くきっかけを作っているだけなんです」
「だからと言って、私一人の人間としての個性を殺すわけにはいかない」
「音楽に対して、もちろん作曲家に対しても、尊敬の念を抱いているけれど、私個人の個性とのバランスを保つことが音楽の中では重要になってくるのです」


過去と現代のバランス、作曲者と演奏者のバランス、理性と感性のバランス、生徒と教師のバランス…。

アリストテレスの”中庸”を体現しているようだ(笑)。

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2009年08月14日

カザルスと教会カンタータ

『カザルスとの対話』(旧版)を図書館から借りてきた。
様々な本で上げられているカザルスをめぐるエピソードやカザルスやその周辺の発言、などの大体がここにある。
なるほど、これはカザルスを語ろうと思ったら、まずは何よりもここから出発すべき本とされるような大事な本だ実感した。

というわけで、これはちゃんと買うことにしよう。
(その見極めのために図書館から借りたのだった)

いろいろ、いろいろ、本当にいろいろ、書き留めておきたい発言があるが、特に今はこれ。



・・・
カンタータの基底はコラールだ。
そのコラールは民衆の歌曲から出たもので、バッハはそれを通して信者たちともっとも親密な融合に達することができたのだ。しかも、宗教的であり、同時に民衆的な要素を持つコラールは、最大の音楽形式のひとつなのだ。

・・・
これらのすばらしいカンタータ!私の生涯の夢のひとつは、私たちが保有しているそれらの全部の演奏を指揮することだ。



自分の中では、バッハの教会カンタータや受難曲の世界と、カザルスとは二大巨頭のようなもので、それだけにカザルスがここまでカンタータやコラールにはまっていたという事実がなんといってもうれしい。涙がちょちょぎれんばかりだ。

カザルス指揮の教会カンタータなどはどこかに音源として残っていないのかなあ。聴いてみたい。せめて演奏記録などがあればなあ・・・
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2009年08月06日

「コレガ人間ナノデス」

去年も一昨年もそうだったが、改めて原民喜氏の『原爆小景』(1950年)から。



コレガ人間ナノデス

コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨脹シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」
ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス



今日、8月6日、広島に原爆が落とされた日。

motototさんのところで
サイト「被爆者の声」を知りました。

”核”には以前から自分なりのこだわりがあるので、ヒロシマ・ナガサキにも行き、被爆者の話も聞いたこともあるし、本もそれなりに読んできたつもりだが、最近は自分に小さいムスメがいるということもあり、こういう生の話を見たり聞いたりするのがすごく苦痛だ。





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2009年02月10日

「カザルスホール会員番号第0番」

『チェロと宮沢賢治ーーーゴーシュ余聞』横田庄一郎著(音楽之友社 1998年)から



賢治の魂は、まさしくカザルスホールの聴衆の一人なのである。それならば私は、空の上の宮沢賢治に、カザルスホール倶楽部の会員番号第0番を特別に捧げたい



この本の中で「カザルスホール倶楽部会報第百号」での阿南一徳編集長の文章として紹介されているもの。

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posted by たこすけ at 00:00| Comment(8) | TrackBack(0) | 心に残る言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする